セロ弾きの誤謬
2009年 01月 26日
家人が老後の静かな生き甲斐を求めてチェロを習うことに決めたらしく、ここ最近にない前向きさでウキウキと過ごしている。その様子を眺めながら、「あぁ、生き甲斐とやりがいを見つけた人間というのは楽しそうなものだなぁ。」等と感じたのは確か数日前の事だった様に思うが、本日帰宅してみれば「私はチェロを買ったのだ。」と曰う家人が其処に居た。流石に、その行動力と潔いの良さには驚かされた次第で御座いますの事よ。
何というか悔しいやら、心底羨ましいやらなのです。
しかし、「セロ弾きになるのが子供の頃の夢だった」と言われては、応援せざるを得ない何かがありますね。その内我が家にもタヌキやらネコやらが舞い訪れるかも知れんと思うだに、今の内に包丁と鍋の準備だけは怠らぬようにしたいところであります。くそう、うらやましいな。
何というか悔しいやら、心底羨ましいやらなのです。
しかし、「セロ弾きになるのが子供の頃の夢だった」と言われては、応援せざるを得ない何かがありますね。その内我が家にもタヌキやらネコやらが舞い訪れるかも知れんと思うだに、今の内に包丁と鍋の準備だけは怠らぬようにしたいところであります。くそう、うらやましいな。
by para_noid
| 2009-01-26 21:30