実験的にあれこれ


by para_noid
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カタコトコントン

広島、長崎への原爆投下から60年という節目の年を迎え、その関連ドキュメンタリを見る機会に多く恵まれたのですが……被爆体験者の高齢化に伴った語り部の減少を含め、「語り継ぐ」という事が一つの重要な問題となっている様です。




上手く言えないのですが……。

使命感を持って辛い記憶を語り継いでこられた方々であっても、60年という長い時間の中では「物を伝える」と言う事のルーチン化は避けられなかったのではないかと思います。「言いたいこと」や「伝えたいこと」、そう言った物が強調され詰め込まれていった言葉は、多くのメッセージを私たちに伝えてくれるでしょうが、一方で私たちが「ダイレクトに感じ、考える機会」を奪ってしまっているのではないかと思うのです。

それだけに、語ることを若い世代が継承する事は意義も大きく素晴らしい事だと思う一方、記憶のない者が「語り」を継承することで、それがより伝統化を促進してしまうのでは無いかという危惧を抱いてしまいます。

ドキュメンタリで見た「節目を機に初めて胸中を語った方々」の沈黙の間と表情は、語り継いでこられた方々の語りに込めた願いや情と同様に、多くのことを伝えてくれました。語り部の方々の語りを若い世代が継承する一方で、こうした素の声が多く記録として残され、それが継承されていくのが良いなと私などは思っています。

残さなければいけない、そして伝えなければいけない記憶と、記録と、メッセージ。様々な形で、色褪せなく残っていけばいいなというか、何というか……自分でも何が言いたいのかまとまりませんや。すみません。
[PR]
by para_noid | 2005-08-10 22:59 | 戯れ言